幸福論-ポジティブ心理学
MBAの授業の中でひとつ風変わりな授業がありました。
幸福学、ポジティブ心理学を扱った授業です。
MBAは経営学修士と訳されるように、企業経営を専門的に学ぶ分野です。
企業の目的は一般的に利益の追求であり、そこにあるのは効率性の重視であり、幸せとかそんなファジーな感情が入り込み余地はないように見えます。
しかし企業の活動は実は「幸せ」と密接にかかわっているのです。
この授業のイントロダクションにこんな言葉がありました。
この言葉を見て、ガツンと頭を殴られたような衝撃がありました。
経済成長=成功の証なんじゃないの?企業でいえば売上もしくは利益、個人で言えば収入。こうったものを上げていくのがMBAの目的なのでは??
しかしこの授業を終了した時には全く違う考えになっている自分がいることに気づきました。
幸せとは何か
あなたは現在幸せですか?
あなたは現在幸せですか?
もしYesなら、それはなぜですか?
お金があるから?人間関係がうまくいっているから?仕事が楽しいから?体が健康だから?
様々なアンケートでは、人生において最も重要なものは何か?というアンケートに対して多くの人がお金と答えています。
・世の中お金がないと何もできない
・お金がすべてとは言えないが、生きていくうえで最も重要
・世の中のほとんどの問題はお金で解決する
お金と幸せの相関関係
多くの人がお金が大事と回答したように、もちろんお金と幸せには大きな関連性があることが分かっています。
お金を持っていれば持っているほど人々は幸福を感じます。
しかし、様々な研究によるとお金と幸せの相関関係は一定のレベルを超えるとなくなると言われています。
カーネマンの研究では世帯年収75,000ドル(1ドル110円として約800万円強)が境目だと言われています。
すなわち、世帯年収がこの境目に達するまでは年収と幸せが比例して伸びていくものの、800万円を超えるとその1000万円になろうが2000万円になろうが1億円になろうがそこまで幸福度に違いはないという研究結果です。
これはなんとなく誰もが実感できることだと思います。
例えば年収が数千万円あるような上場企業の社長など、もちろんいい車を買ったり別荘を買ったり旨いものを食べたり、贅沢な生活ができるので幸せを感じることもあるでしょう。
一方でその上場企業の社長ともなると仕事のストレスも大きいものです。
株主に対する責任。社会からの注目。万が一会社が失敗したら社員を路頭に迷わせるというプレッシャー。
こうしたものを考えると、年収800万円の課長よりも年収5000万円の社長が幸せか?と問われても、必ずしもそうとは言い切れないでしょう。
金持ちには金持ちなりの悩みがあるのです。
例え数億円もらえたとしても、あなたは総理大臣になりたいですか?
幸せの正体
お金=幸せではないとすると、どういった状態を幸せと呼ぶのでしょうか?
これにも研究者によってさまざまな定義があり、何をもって幸せと呼ぶのか統一された見解はありません。
欲求説
人は欲求が満たされたときに幸せを感じます。お腹が空いたときにモノを食べれば幸せ。欲しいものが手に入ったときに幸せ。
こういった生理的欲求や物質的欲求、心理的欲求や知的欲求を満たした人が幸せな人、という考え方です。
しかしこの考え方には問題があります。
例えば異常な欲求を持っている人はどうでしょう?
車で道路を暴走して快感を感じる人、こうした人は幸せな人生なのでしょうか?
アルコール中毒のように酒を飲みまくり欲求を満たす人、こうした人は幸せなのでしょうか?
もちろん否です。こうした人生は決して良い人生とは言えないのではないでしょうか。
客観的リスト説
これは世間で広く善であると認められている行為を集めた「客観的リスト」というものが存在し、これを充足することが幸せであるという立場です。
仕事での成功、良好な交友関係、知識、誠意、愛などがこの客観的リストには含まれており、こうしたものを満たした人生こそが幸せだという考え方です。
企業における幸せとは
これを企業に置き換えて考えてみてください。
企業にとってのお金とは売上、または利益に相当します。
企業にとっての幸せとは、売上や利益を最大化することなのでしょうか?
アメリカの経済学者モーガン・フリーマンは、下記のような主張をしました。
つまり法令違反や倫理違反はもってのほかだが、これを守ることを前提としてお金を稼ぐことこそが経営者の使命だという主張です。
また、
とも言い、企業自身はお金を稼ぎ、そのお金を株主等のステークホルダーに還元し、社会貢献活動はそうして企業から利益を還元された者たちがやりたければやればよい、という立場をとりました。
実際にこのような考え方に賛同する人はたくさんいます。
しかしコロ助個人の考えでは、このようなお金を稼ぐことを最重要課題とする企業姿勢にはNoです。
つまり企業を人間に置き換えた場合、客観的リスト説で見た通り「広く善と認められる行為」を行うことを第一とするべきです。
もちろん利益を上げることも重要です。しかし利益を上げることは「広く善と認められる行為」を行うための手段であり、目的ではありません。
極端な話、以下のような2つの会社があったとき、どちらが世の中のためになっているでしょうか?
・利益は100億円あるが、従業員がみな過労寸前。下請け業者もいつも厳しい納期に苦しむ会社A
・利益は10億円だが、従業員もみな楽しく過ごし、取引先も笑顔の会社B
かつて高度経済成長期と言われた時代は、モノを買うだけ生活が豊かになり、人々は幸せになりました。
お金を稼ぐためには企業は売上を上げて利益を出す必要があります。そのため世の中の企業は利益を出すことが最優先でした。
しかし現代はモノは飽和状態にあり、消費の大半は生活必需品ではなくなりました。
こんな豊かな社会では「お金イコール幸せ」という単純な世界ではありません。
冒頭の
という言葉はこういうことです。
売上や利益を最大化することを目的とするのではなく、社員、株主、取引先、消費者を幸せにすることを目的とする。
これがこれからの時代の企業のあるべき姿です。
- 鳥谷コロ助
へぼい外資系リーマンです。英語はいまだに勉強中。TOEIC875点。Bond-BBT MBA。英語学習とMBAと資産運用についてのブログを書いています。平飼いの卵とフェアトレードを好みます。金持ち父さんになるために日々悪戦苦闘。面白いことと平和なことが好きです。